ご挨拶

過去の時代を振り返るならば、東洋と西洋の間には、さまざまな出会いがあった。19世紀中頃から東洋は西洋の優位性を痛感するようになり、西洋から専門家を招いて、自国の近代化を押し進めようとした。それらの国として、中国、トルコ、タイなどがあげられるだろう。日本もそれらの国の一つに数えられる。日本でも長い鎖国時代が終わり世界に門戸を開いてから、西洋の学術文化を積極的に取り入れ近代化を図ろうとしたのである。その近代化は、他の東洋の国々の近代化と比較して、かなりの成功をおさめた点が大きな特徴となる。

日本の近代化は、首都東京だけの近代化ではなかった。東京に限らず日本の各地において、近代化が進められたのである。そして、その導入の主役を演じたのは、数多く招聘された「お雇い外国人」(注1)であった。お雇い外国人は、東京を中心とする大都市に住むことが多かった。しかし、地方の人々も西洋の学術の移植に熱心であり、地方の藩や県に雇われて、地方都市に住むことになったお雇い外国人もいた。あるいは、当初は地方で働いたが、東京へ活動の中心を移した外国人もいた。フルベッキは、肥前長崎で英語教育に従事したが、明治2年(1869年)に東京へ移っている。本稿で主に取り上げるグリフィスも、日本の地方都市である福井から東京へと活動の中心を移している。本稿ではグリフィスを中心に、お雇い外国人の意義について論じようとするものである。

このブログではそのことについて述べたい。

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